PCゲームとしてのRPGを作ろうという時に、他のRPG作品(および製品)は「超えるべき最低ライン」の目安にはなりますが、創作の参考とするのは困難です。異なる媒体を参考にしましょう。
媒体は多岐に渡るのですが、この記事では映像作品を例に挙げています。
以下は、映画、ならびに劇場版クラスの作品のうち、現在、創作の参考としている作品群です。
「スター・ウォーズ」
「戦闘妖精雪風」
「トップをねらえ!1・2」
「ヒロイックエイジ」
悪役の集大成たる「ラスボス」の扱いについて3つの系統に分類できます。
1つの系統だけですと悪役の作り方がぶれてしまうかもしれないので、3系統とも知っておきたいものです。ラスボスの立ち位置が全く異なります。
これらの作品群をどのように評価しているかは人それぞれですが、私は名作と思っていますし、私と近い感想を持つ人達をターゲットとした作品作りをしています。
1.対話可能なラスボスが存在する
「スター・ウォーズ」
ここでの対話可能とは、双方が望めば意思疎通ができるという意味です。和解が可能とは限りません。スター・ウォーズは今更説明は不要かとは思いますが、映画ですので1本1本に異なるラスボスが配置されています。
最後の最後で和解を仄めかすケースと、最終的には決裂して直接対決しなくてはならないケースに別れますが、いずれも悪役との対話は成立することは共通しています。
この映画のように対話可能なラスボスをラストシーンに据える場合は、ラスボスとの会話を必ず配置することになります。また、悪役の暗躍を描くために、ラスボスだけが画面内に登場するシーンも十分考えられます。
物語の冒頭や中盤で偶然、あるいは意図的に主人公と遭遇する場合もあります。一度は主人公を完全に敗北させてしまうのもいいでしょう。ただし何度も使うことはできません。スター・ウォーズは主人公の敗北シーンを、主人公の復活と逆襲と見せかけつつ、主人公の交代の伏線として繋げているので、長丁場の作品作りをする覚悟があるなら有効な手法かと思います。
主人公の敗北は、主人公が将来交替することを仄めかす決定的なシーンなので、主人公を変更するつもりがなかったり、あるいは1作品のみで完結する予定の作品ならば基本的に使うことは避けたい手法です。未回収で終わるおそれがあります。主人公が敗北してしまうという伏線を回収しないというのは、ちょっと斬新すぎると思います。
2.対話不可能なラスボスが存在する
「戦闘妖精雪風」
「トップをねらえ!1・2」
主人公側(の対話を尊重する勢力)は対話を目指しますが、それが出来ないというケースです。敵対勢力が存在し、その立ち位置は最初から最後まで変化しません。
対話可能なスター・ウォーズのラスボスも凄まじい強さでしたが、対話不可能な敵対勢力はそれよりも桁違いに強く、最後の最後で大きな犠牲を払って撃破することはできても、倒しきることはできません。最早「人間」あるいは「元人間」、「元ジェダイの騎士」の範囲内ではラスボスを表現できません。
特に「戦闘妖精雪風」と「トップをねらえ!」は、敵対勢力の攻勢が人類全滅しかねない規模でやってきます。最終的な決戦においても、それらの敵対勢力の動きを制限し、勢いを弱めて、一時的に後退させただけなのですが、そのために主人公側と味方勢力は桁違いの(全滅に近い)犠牲を払っています。(ネタばらしごめんね。皆もう観ているから大丈夫だよね?)
感情移入先としての主要な主人公(一部または全員)は辛うじて生き残ります。これらの主人公は殺してはいけません。
1の「スター・ウォーズ」の場合は主人公の交替が有り得る描き方をしているので、主人公を退場させてしまうシーンを作ることは可能ですが、2の作品群では主人公を退場させるのは危険です。上の2作品は戦闘が苛烈なので大量に退場させていますが、ギリギリのところで全員退場は免れています。(なお「主人公側のキャラ」は退場しまくるもよう)
ただし、映像版の「雪風」はどちらとも受け取れる描き方をしています。「雪風」の評価は高いですが、あのラストシーンをRPG制作の参考とするのは難しいかもしれません。
対話不可能なラスボスというのは、自然災害に近い捉え方もされるので、主人公を退場させると「自然災害に負けた」ということになりかねません。映画としてはそのテの作品が好きな人もいるので有効ですが、ゲームでそれをやるのはゲームの定義をひっくり返しかねません。斬新すぎます。ラスボスに勝てる可能性が設計上0%のゲームは、ゲームと呼べるのでしょうか?
3.ラスボスの存在を仄めかすが実は……
「ヒロイックエイジ」
ヒロイックエイジは全てのRPG制作者に一度は観てほしいと思っているので、まだ観ていない人のために詳細は避けます。(具体性を避けて、ある程度までは書きます)
この系統は1と2とも全く異なる結末を迎えますが、当初はあたかも1(=対話可能なラスボスが存在する)であるかのように振る舞うところが面白いですね。
悪役が存在しないというわけではないのですが、悪役の側の論理を丁寧に描写し、悪役側と主人公側を制作者として対等の描写をしています。私は制作者を知らないので本当のところは不明ですが、視聴者としてそのように受け止めました。制作者からの誘導が無いので、視聴者が悪役に感情移入したとしても最後まで楽しめます。とはいえ、この作品の主人公は多くの人が好きになれるキャラクターだとは思います。主人公側の層も厚いので、お気に入りのキャラクターは必ず見つけられるでしょう。
全作品と比較して、最高のエンディングを迎えます。ここに挙げた作品の中では、私は「ヒロイックエイジ」がトップだと思っています。異論は認めます。私は評価を変えません。
映像作品としては理想的です。しかしRPGで作るのは結構難しいです。短い作品では無理なので、長丁場になります。必要な分の世界観を表現するだけでは不足で、その世界への理解を、主人公側とプレイヤーに少しずつ浸透させていかないとラストシーンの理解が難しくなってしまいます。
その世界が何であるかをプレイヤーは全く知らないためです。主人公は知っている場合と、知らない場合の二通りが考えられます。
私の制作する作品が1/2/3のどれに該当するかは、ここで書くことではありませんが、個人制作で3を想定しているのだとしたらそれは本当にハードルの高いことをしているのだと思います。
RPG制作の指南系サイト(って何だぁ……?)では普通に考えて1(=対話可能なラスボスが存在する)を推すと思います。1の制作が簡単という意味ではなく、短編で作ることができる構造は1しかないという理由からでしょう。短編で2と3は物理的に無理なのです(やってもいいですが「意味不明ゲー」というジャンルに分類されかねません)。
プレイヤーとしての私は、本当は3をプレイしたいんですけどね。滅多にありません。RPGツクール作品ですと、一つも見たことがありません。未踏の領域かと。
映画でも何だかんだ言って1と2が多数です。1と2は視聴者も多いですし、映像とサウンドの演出で大化けしますもんね。2を仄めかしておいて実は1、というのも割とよく見ますね。流行りなのん?
※ツクールWebフォーラムに書こうと思いましたが、こちらに書いたほうが良いと思いましたので投稿ではなく、自サイトに載せることにしました。
参考: フォーラムの記事